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ちゃんとコンピュータの面倒もみているのだ。 1998.7.22(水)

「Aptiva520を延命するの巻」で詳しく触れた通り、一昨年の10月に高速化対策が施されたヒロコさんの愛機アッピー君ではあったが、あれからすでに一年半、いよいよ日常の使用にも支障をきたす事が多くなるに至って、遂にヒロコさんもAptiva520に別れを告げ、新マシンの導入を決意した。

 ヒロコさんも杜撰なところがあるので、HomePageで「Aptivaは五年前に入れた」なんて言っているが、実はまだ三年しか経っていない。私が購入に立ち会ったんだから間違いない。あれは1995年の5月、「漂流楽団」のレコーディングが始まる直前のことであった。

 当時、ヒロコさんはNEC PC-H98 model70というレアなマシンを使っていた。そしてDOSからWindows3.1に乗り換えたばかりの頃でもあった。
 H98は珍しくまともに設計された非常に真面目な作りのパソコンではあったのだが、いかんせん386/33MHzではWindowsがストレスなく動くというわけにはいかない。特にグラフィックス・アクセラレータなしでWindowsというのは致命的であった。CD-ROMや音源ボードでマルチメディア環境を追加したものの、ゲームがまともには動かない。WAVファイルが音落ちし、画像がギクシャク、という状態では嫌気も差そうというわけだ。加うるに各種ボード類や多種多様な外付け機器がぶら下がり、マシンはゴチャゴチャの極み、これ以上の体力増強も限界という様相を呈していた。

 そんなこんなで、ヒロコさんもそろそろ
「最初からマルチメディア関係が全部ついてて、Windowsがまともに動いて、コンパクトにまとまったパソコンがいいなー。98CanBeとかどうかなー。」
 などと言い始めたわけであったのだ。これに対し、
「これからはPCの世界は常に過渡期という状態に入ります。使い捨てにするしかない日本ローカルのオールインワン・パソコンなどお止めなさい。AT互換機を組立てましょう。」
 と賢明なる御託宣を下したのはほかならぬ私である。
 しかし私のスクラップビルド互換機のすさんだ姿を見ていた彼女は、組立てマシンに恐れをなし、あくまでもキレイにまとまったメーカー品にこだわりを見せたのであった。
 まあ無理もなかろう。丁度当時の私のマシンは、カバーなどとっくに何処かに行ってしまい、サーバー用の巨大なビッグタワーケースは単なる部品の取付け座と化してハラワタむき出し、内蔵が飛び出したかの如くの有様であったのだから。
「それじゃ日本ローカルでないメーカー品にする」
「配線ゴチャゴチャは嫌だから、やっぱりオールインワンがいい」
 などの議論の末、AT互換機のマルチメディア・オールインワンPCを買う事で折り合いがついたのは、1995年5月のある休日の早朝、都内某デニースの店内でのことであった。徹夜明けにもかかわらず、思い立ったら我慢のできないヒロコさんは、むずかる私を御意見番として連れ立ち、そのまま秋葉原へと向かったのである(谷山註・わたしの確かな記憶によれば「よし、すぐこれから買いに行こう!」と張り切ってわたしを引っ張っていったのはN氏である)。

 しかし私はメーカー品、特にオールインワンPCなどという物には全くの無知であった。歩き回ってみると各メーカーから色々出ている様ではあるが、どれも同じに見えて選ぶという程の物でもないように思えた。
 決めかねて何度か電気街を行ったり来たりするうちに、徹夜明けの我々はかなりの疲労を覚えてきた。意識レベルが低下し、外界の刺激に無批判に順応する様な状態に陥っていたのかもしれない。二時間ほど街をうろついている間に、何かしら耳に馴染んでしまったものがあったのである。そう、当時盛んに秋葉の街に流れていた「Aptivaの歌」である。この歌にすっかりマインドコントロールされてしまったためか、いつの間にかコンパクトにまとまったデスクトップのAptiva520以外に選択肢はなくなっていたのだ。

 些かいい加減な判断ではあったが、こうしてヒロコさんのAptivaライフが始まったわけである。
 早速例によって例の如くの力の抜けるような命名法により「アッピー君」と名付けられたAptiva520は、H98に比べて素晴らしく速かった。音源ボードもFAXモデムもスピーカも付いた486DX/100MHzのアッピー君のおかげで、ちゃんと見られなかったマルチメディアタイトルの恐竜もスムーズに動き回ってくれるようになった。当時Pentiumは120MHzが最速の時期であり、75MHzから90MHzが一般的で、486DX/100MHzもバリバリの高速マシンであった。
 そしてOSに関しては、何とヒロコさんはOS/2 Warpをインストールしたのだ。
 私はDOSやWindows3.1を使うには、今でもOS/2が最も安定した環境であると信じているが、システムの安定性や軽さ、そしてオブジェクト志向を極めたシェルの出来は、Windowsは言うに及ばず、Mac OS、X-Windowなどの比ではない…というわけで私はOS/2の熱心なユーザであったのだが、ヒロコさんもこれを見て自分も使いたくなったのである。
 しばし彼女がカスタマイズに熱中したのは言うまでもないが、REXXスクリプトのプログラミングまで何時のまにかこなしているのを見たときには、さすがに私も驚いた。

 しかしその年の末にはWindows95が発売されることになっていた。夏にWindows95の最終β版(PPP)を一目見たヒロコさんはもう黙っていられない。PPPを自分もインストールするという。あっという間にアッピー君はOS/2とのデュアルブート環境になってしまった。年末にはWindows95は製品版に入れ替え、アプリケーションも徐々にWindows95用32ビット版が揃ってきた。
 しかしMSとIBMの確執からか、OS/2にはWindows95、というよりWin32のサポートがない。つまりWindows95、WindowsNTアプリケーションはOS/2では使えないのだ。Windowsアプリケーションの急速な95・NT対応が進むなかで、ヒロコさんにとってOS/2のWindows環境は次第に利用価値が失われてきた。
 96年の3月頃になると、しばし考えた後、ヒロコさんはバッサリとアッピー君からOS/2を消去することを決意する。こうしてWindows95単一環境になり、その後48MBへのメモリ増設と1.2GBハードディスクの追加を行って今年に至ったわけである。

 さて御存知の方もおられると思うが、ヒロコさんは文書の作成にワープロやDTPなどは一切使わない。軽いエディタでせっせとテキストファイルで原稿を書く。あとはEudoraやIE4.01でインターネットというのが主な利用形態である。従って仕事で使う分にはアッピー君は三年経った今でも十分なパフォーマンスを持っているはずである。
 しかし問題なのはマルチメディア・タイトルで、実際昨今のゲームは強烈なマシン環境を要求する。今時「MMX Pentium 166MHz、4倍速CD-ROMドライブ、SVGA ハイカラー表示以上」なんてのは当たり前だ。言うまでもなく、マルチメディア・タイトル大好きのヒロコさんにはフラストレーションが溜まってくる。「見たいなぁ…」などと呟かれると、私としても何とかしてやりたくなる。
 しかし、ヒロコさんは一方で
「仕事では十分使えるのに、お遊びのためにマシンを買い換えるなんて…」
というような感覚もある人なのだ。これは別に大人の既婚女性の経済感覚などというものではなく、マニアでもないのに二年や三年でホイホイパソコンを買い換え、使えるパソコンをスクラップにすることに対する抵抗感なのだ。

 そんな意を受けて、私もアッピー君第二次延命対策を検討してみた。
 先ず第一に現状2倍速のATAPIのCD-ROMドライブを24〜32倍速に入れ替えることは全く簡単だ。二番目にCPUだが、アッピー君の486DX4/100MHzをMMX Pentuim 166MHzのオーバードライブ・プロセッサに換装することも出来る。しかし第三の問題点、グラフィックアクセラレータの交換は上手くいかない。Aptiva520には、僅か1MBのVRAMと共に一世を風靡したCirrus Logicのグラフィックチップがオンボードで乗っている。こいつをキャンセルしてグラフィックアダプタを拡張スロットに刺すことは出来る。しかし三年前はISAバスがPCIに代わる過渡期であった。VLBなどという妙なバスも残っていた頃である。悲しいかなアッピー君の拡張スロットはISAなのだ。今時ISAのグラフィックアダプタに変えたところで、色数が増えても速度的にはロクな結果にならないことは自明だ。やはりPCIはどうしても欲しいところだ。しかもヒロコさんは結構拡張スロットに色々なボードを刺すのが好きな人である。TVチューナとかFAXモデムとか。空いているISAスロット自体がすでに無かった。

 こうした検討の結果、私はヒロコさんに次の様に宣告した。
「アッピー君をこれ以上体力増強しても、投資に見合うだけの効果は到底得られません。またPCの世界はいよいよ狂って来ています。三ヶ月で新品が腐ります。従って拡張性に乏しく、マザーボードの交換も出来ないメーカー製のマシンは直ぐに買い換えるしかなくなります。アッピー君には私がWindows95アプリを使う時のサブマシンとして第二のお役目を与えるので、ヒロコさんには私が最新マシンを作ってプレゼントしましょう。」
 これに対し、ヒロコさんは長らく苦楽を共にしたアッピー君が墓場行きではなくなり気が楽になったらしく大賛成。私は全権を委任され、ヒロコさん新マシン計画の策定に取り掛かったのである。時は1998年3月の事であった。

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 ヒロコさんから新マシンについて要求されたスペックは特になかった。しかし今後の事を考え、マザーボードはsocket7ではなくslot1タイプにすべきであると考えた。実はK6派の私がものの試しに使ってみたかっただけなのだが。こうして必然的にCPUはPentium IIとなり、値頃感のある233MHz版を選択した。
 マザーは私の好みでTekramのP6L40。DIMMソケットが四つあるのが良い。私は昔からメモリは沢山積むのが好きなのだ。最低512MBは積めないと。しかしヒロコさんの指定OSはWindows95だから、今回は手持ちの64MB SDRAMのDIMMを一枚流用でとりあえず善しとしておこう。
 グラフィックアダプタに関しては現在PCIかAGPか迷うところだ。しかしP6L40にはAGPスロットが付いている。ヒロコさんは3Dバリバリのリアルタイム・シューティング物などやりそうもないが、私の好きなフライト物で差がつけば今後の検討材料となるだろうという事でAGPを使ってみたい。ということで興味のあったPermedia2(DPM5020)を選んだ。液晶パネルの1024×768ドットで24ビットフルカラー表示をするだけではもったいないがVRAMは8MB。
 こうして基本線は決まった。あとは手持ち部品の組合せでいこう。HDDはUltra DMA/33の3.2GB。ヒロコさんは巨大アプリを使わないので3.2GBでも広すぎるくらいだ。次はMOドライブとスキャナがあるからSCSIアダプタが要る。これは安くて定評のあるTekramのDC-390。そうそう、10BASE-TのLANにも接続しなければならない。押入れの中に正体不明のNICがあったはずだ。NE2000互換だから使えるだろう。最後に32倍速ATAPI CD-ROMドライブ(注:ヒロコさんが「24倍速」と言っているのは間違いです(^_^;))と3モード3.5インチFDDを比較的品の良いミドルタワーケースに取り付けて組み立ては完了した。
 DOSのフロッピーで試しにブートしてみよう。さすがにプロの手にかかると一発でシステムが立ち上る。いやはや、ブート時にBIOSのメッセージが流れるのを見ているだけでもアッピー君の20倍は速い。まったく嫌な時代になったものだ。

 次はいよいよWindowsのインストールだが、ここでヒロコさんと慎重に相談をしなければならない。アッピー君の環境をそのまま引き継ぐか、まっさらな環境を構築するかだ。一から出直しであれば私としてはOSR2の32ビットFATでシステムを構築したいところだ。アッピー君の環境を引き継ぐのであれば、HDDイメージをMOに上げてあるので、リストアするだけで簡単に済む。
 長時間じっくり考えた末、ヒロコさんは
「今まであまりにもいろんなことをして来すぎたせいで、ぐちゃぐちゃのどろどろの魔窟状態になってまして、これをひきずるのもイヤだな〜という気がしてきて、やめました。まっさらな状態で1から出直し。人生リセット。」
という決定を下したのである。

 というわけでWindows95 OSR2のインストールを始める。さてDOSでブートしてCD-ROMドライブを認識させて…と思ったが、CD-ROMドライブのDOS用のドライバが無い。どこかにフロッピーを無くしてしまったらしい。しかし、万事休す…とはならないところがプロである。代わりにSCSIアダプタのDOS用ユニバーサルドライバのフロッピーがあったのでこれでMOドライブを認識させる。次に私のマシンでOSR2のCD-ROMを640MB MOに丸ごとコピーする。これをドライブごと新マシンのSCSIポートに接続して、MOからOSR2をインストールするというわけだ。こうして新マシンはまっさらなWindows95 OSR2マシンとして無事立ち上り、晴れてヒロコさんに引渡しと相成ったのである。

 ヒロコさんに引き渡してから、ネットワーク関連のややこしい設定を行う。ネットワーク認証のために新マシンの名称をヒロコさんに決めてもらうことにする。「Appie」に代わる新しいヒロコマシンの名前だ。またでたらめに「ペン君」だの何だの決められてはかなわない。今回はちゃんと考えてもらおう。
 ヒロコさんはややあってから「Elfin」ではどうだという。何をかくそう「Elfin」は私のモースト・フェイバリット・ヒロコソングの一つなのであって、その響き、愛称としての品格からいっても悪かろうはずがない。こうして「エルちゃん」は誕生した。
 この後は、ターミナルアダプタの設定、メーラーやWebのブラウザ、テキストエディタのインストールなど、ミニマムのソフトウェア構成をヒロコさんにやってもらう。この状態をElfin号のバニラ状態として、システムイメージの完全なコピーをMOに上げておくことにする。
 アッピー君時代にヒロコさんは、雑多なゲームやオンラインソフトウェアなどのインストール・アンインストールを繰り返したため、システムフォルダのDLLがごちゃごちゃに錯綜し、バージョン違いのコンフリクト等で、しばしば動作が不安定になって苦労したものだ。この教訓を生かして、今回はミニマム構成への完全復帰を直ぐに実現するために、最初にシステムイメージのバックアップを作っておくことを提案したのだ。ヒロコさんのページでも分かるように、これが早速役に立ったようで、めでたしめでたしである。

 まあ、こんな具合にしてヒロコさんのニューマシン「Elfin号」への移行は完了した。現状においてはシステムのバランスが程よく取れており極めて快速快適である。
「速〜い!!」
の一言で私のすべての労苦は救われたのであった。


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