浩子さんは1996年1月に結婚しました。お相手は初恋の人、「中西さん」です。
余り知られていないのは、御本人の談では「親せき、友達、誰にも案内を出していなくて。ファンの人も知らない人がいる。照れちゃって」なんだそうです。
このページでは、そんな浩子さんの初恋と結婚に至るストーリーを、ご紹介します。
話は×十年(^_^;)さかのぼります。浩子さんの初恋は中学(お茶の水女子大付属中学校)の1年生のとき。お相手は当時3年生で、一目ぼれならぬ“一声ぼれ”だったそうです。
時は文化祭、3年生のクラス展示での『人間コンピューター』というのをやっている催しに行ったときのことでした。
それはベニヤ板で作られた箱の中に人が入り、紙に書いた質問を口に入れると答えをしゃべるというしろもの。
ちょうどそのときその中に入っていたのが(なんと展示と違うクラスの)彼だったのです。
もちろん顔はまったく見えず、声と軽妙な受け答えが浩子さんを惹き付けて離しませんでした。
たまたま女子が「中西君」と呼びかけたので、名前もわかりました。でもまだ顔も姿もわかりません。
そして後夜祭。友達に教えてもらった「中西さん」は色白でやせていて、小柄でしかも長髪。美しい少女のような顔立ちだったとか。
それからの浩子さん、すっかり中西さんにお熱をあげたのですが、当時('70安保闘争時代でした)の学生運動に参加していたとか、学校に反発していたとかいろんな噂が耳に入ってきます。ついには同じ3年生の女性と付き合っているという噂も!
当時中1、肩まで伸びた髪が美しい少女だった浩子さんは、誰もいない早朝や夕暮れの教室に忍び込んでは中西さんの机に座っては、ぼぅっとしてタメイキをついていたんだそうです。
でも、当の中西さんは、文化祭で何度も何度も質問してくる少女、そして時々視界を横切る下級生に気付いていましたが、残念ながらあまり気に留めいませんでした。
時は過ぎ、新しい年となって先輩の卒業が近づいてきます。2月になって、とうとう浩子さんも思いきって告白の手紙を書き、朝、彼の机にいれました。
そしてその日の夕方、彼の机に行くと返事が入っていました。中西さんは、浩子さんのまじめな気持ちに感動し、その日の1時限目が終わるまでには返事を書いたのでした。
しかし、その返事には、まじめな気持ちで書いていること、付きあっている人がいること等が書いてありました。
結局、その中1の初恋は彼の卒業とともに淡く消えてしまいました。それでも浩子さんは中西さんの字をマネるようになったんだそうです。
浩子さんはそれから別の人を好きになったりしましたが、中西さんのことはずっと胸の奥にしまっていたのでした。
今や中西浩子さんとなった浩子さんですが、全然変わらないのもわかるような気がします。「お抱えエンジニアN氏」として大活躍の中西さん、浩子さんをお大事に。
あとの部分、そして浩子さんが中西さんをどう見ているか、については産経新聞ホームページの谷山浩子ライブレポートをご覧下さい。
おまけ:中西さんの写真は浩子さんのページの中の「N氏のCOOLな仕事部屋へようこそ!」ページの中にあります。
追補:仲睦まじく過ごされたお二人でしたが、2019年2月3日の朝、「お抱えエンジニアN氏」こと中西直哉さんは延髄の膠芽腫により亡くなられました。享年64歳でした。