→ Home Page
→ Index
2000/8/22(火)22:09
- 用事で愛媛県へ行ったあと、京都で一泊して、信州の白樺湖の近くで四日間過ごしました。エコーバレースキー場というところのペンションに泊まりました。ペンションって仕事以外で泊まったのは初めてです。ペンションといえば「動物とか果物とか童話っぽい名前がついてて」「建物が欧米カントリー風で」「オーナーが口ヒゲをはやしててオーガニック主義」というイメージ、わたしは今まであまり興味がなかったのですが、webでたまたま見たところをなぜかふと予約してしまったのでした。「ゼフィール」という、60代後半のご夫婦がふたりだけでやっているところです。おもしろかったです。7年もやってるっていうのにすごく物慣れないオーナー。顔は中村伸郎、声は笠智衆という感じの人なのですが、朝食の時お客さんに「このソーセージもここで作ってるんですか」と聞かれて「いえ、違います…」としか答えない。お客さんの方で「じゃこのへんで買って来られるんですね」と質問を重ねると、「はい、そうです…」。万事この調子で、いわゆる接客業の人の接客会話もいっさいナシで、わたしはとっても気が休まりました。
それにしても、このエコーバレー・姫木平・白樺湖から蓼科のあたりというのは、去年泊まった志賀高原と違ってぜんぜん時が止まってませんでした。かわいらしい名前のペンションだのプチホテルだのオーベルジュなんたらが林立してドイツとスイスとカナダとフランスと日本がごちゃまぜって感じで、どうも信州の山の雰囲気に浸りきれない…。そういえばエコーバレーにすごい名前のペンション(たぶん)がありました。「海が好き・・・。」っていうんですけど…テンテンテンもマルもすごいけど、それより信州の山の中でなぜこんな名前を…???
2000/7/10(月)17:16
- 週末に鎌倉へ行ってきました。鎌倉というのは、行くたびに何か特別な感じがして「なんだろう、これは」と思う土地です。なんなんだろう、あれは。
夕方、古いアパートの壁に木の影が映っているのを見ていて、ああそうかと突然思ったことがありました。十代の頃の異様な感受性…なんでもないようなものにでも過剰に反応して、感じすぎて息も絶え絶えって感じになっていた、あの体に悪いやかましい感受性が、大人になって静かになるのはどうしてなのか。それはきっと「区別する能力」がつくからなのです。「区別しない能力」がなくなる、と言ってもいいですが。「物と背景を区別する」「視覚と聴覚を区別する」「触覚と空間を区別する」「感情と時間を区別する」…今だってほんとは区別なんかできてないんだけど、とりあえずできてるつもりになって自分を言いくるめてるのかもしれません。鎌倉は、たとえばそういう区別の仕切をはずす力がある町、のように思えます。
そう言えば。N氏と、数年前に入ったことのある喫茶店を探して歩いてました。路地の奥にあるお店なので闇雲に歩いても見つけにくい上、わたしとN氏の記憶が正反対の方角を指していて、これはムリかなあと思っていたのです。そうしたら急にN氏が、わたしの記憶ともN氏の記憶とも関係ない方角に歩き出しました。「思い出したの?」ときいても「んん…いや…」と口の中で曖昧につぶやくだけ。顔を見るとなんかウツロな無表情。でも足は早足。なんだなんだと思いながら追いかけて行ったら、しばらく行った路地の先に探していたお店があったのでした。自分で「絶対こっちだ」と言い張っていた方向と全然違う場所なのに、なんでみつけたのか、自分でも説明できないみたいでした。ただ子供の頃からけっこうそういうことがあって大人を驚かしてたそうです。奥のほうとのつながりがいい人なんですね。人間が意識の表面じゃないところで動いてる時って、ああいうウツロな顔になるものなのか〜と感心しました。
2000/6/9(金)9:11
きのうは東横線で田園調布駅へ行って、駅前から住宅街を抜けて多摩川台公園まで歩き、日が落ちるまで公園の中を散策して、そのあと玉堤通りを歩いて多摩川園前、というコースのお散歩をしました。
夕方の公園にはほとんど人がいませんでした。いくつかあるあずまやにホームレスのおじさんが散見できるくらいで。公園にいる時に雨が降ってきて、濡れながら歩いた夜の玉堤通りはディープでした。このコースをたどるのは実は24年半ぶりだったのですが、あの時の自分がまだ公園や川沿いの道でうろうろしてるのを発見しました。時間って不思議ですね。10年前のことはもう遠い記憶の彼方なのに、25年前のことはすぐそばにあって、それは今まで25年間ずっとそうで、自分の影みたいに寄り添って歩いてきた感じがします。「セピアに色褪せた記憶」なんかではなくて、手をのばしたら直にさわれるくらいのリアリティがあります。ここにこういうふうに書くことで、博物館に入れるような効果がある…かとおもったんですが、ないですね。だってぜんぜんこれ、不特定多数に向かって書いてないんだもん(^^;
99.8.31(火)2:35
- 10/20に新しいアルバムが出ます。タイトルは「僕は鳥じゃない」。アルバムジャケットの写真を、お台場にある大観覧車と、九十九里浜で撮影してきました。観覧車は暑かったことしか覚えていませんが、九十九里浜はよかったーーー。片貝だったかなあ。その近辺のどこかへ行ったのですが、もう海水浴シーズンは終わってるし、行ったのが夕方近かったので人が少なくて、海と砂浜がとにかく広い広い広い。傾いて赤みを帯びた日の光が泣ける泣ける泣ける。
九十九里は、わたしが小6くらいまで毎夏行っていたところです。母の実家が八日市場で、その近くの野手というところで毎年一ヶ月近くを過ごしました(だから夏休みの自由研究は毎年判で押したように貝殻の標本だった)。泳げないので、毎日波打ち際で足を濡らしながらうろうろ歩き回ってるだけでしたが、あの波の荒さがものすごく好きで、何時間歩いてもあきませんでした。沖の方の、船なんかひと呑みにしてしまいそうな大きな波をみているとドキドキしました。ひさしぶりにあの頃の気分を思い出しちゃいました。あがってきた写真も、光の感じがすごく美しいです。期待しててくださいね。わたくしの写りはともかくとして、光をね(^^;)
99.8.20(金)22:27
- 刈谷のコンサートのあと、志賀高原に行って来ました。仕事がらみでない休暇旅行はなんと7年ぶり。嬉しかったー。発哺(ほっぽ)温泉の「薬師の湯」という旅館に3泊したのですが、なんと言ったらいいのか、30年前のままで時が止まったような感じの宿でした。旅館だけでなく、志賀高原全体がそういう感じのするところですね。山道を歩いていてすれ違うのは中高年の夫婦が多かったし(東舘山の頂上では「絶対合格」のハチマキをしめた中学生の団体に出会ってびびったけど)。
発哺温泉にはお茶の水女子大の寮があって、中学と高校の時、合宿でそこに泊まったことがありました。行ってみたら同じところにそのまま建ってました。その寮を見たら、全く忘れていた当時の記憶がどっと蘇ってきました。合宿の時に着てた服とか髪留めの形とか、食堂の窓から見た夕陽の色とか、そういえばここの空き地でラジオ体操したんだーとか、突然いろんなこと思い出しちゃいました。
志賀高原ではサマーリフトがあっちこっちで動いてて、わたしはスキーをしないので、初めてリフトというものに乗りました。リフト、気持ちいいです。ロープウェイの100倍くらい。特に下りがいい。ガラスとかなくて生身なので、空を飛んでる気分に限りなく近い、しかも危なくない。運動神経もほとんどいらない。すっかり気に入って同じコースを2往復しちゃいました。いちばん気に入ったのは渋峠と横手山の山頂を結んでいるリフトです。長いし、けっこう高いです。横手山頂は2300メートルあるので、登ってるうちにどんどん寒くなって、長袖シャツなのに震えて困りました。山頂ヒュッテではストーブたいてました。このヒュッテというものがまたいい雰囲気で、居心地よくて溶けそうでした。
夏のお盆近辺の時期、信州では志賀高原とか白馬とかがけっこう穴場みたいです。わりと直前でもあいてたりして、あんまり混雑してなくて。わたしも最初は上高地とかヴィーナスラインの方とか探したんだけど全然あいてなくて、志賀高原にしたのですが、すごく気に入りました。今、完全に信州ボケです。
98.1.14
- お正月、実家に帰って親戚の人たちと会いました。ものすごくひさしぶりの人もいて、30年ぶりのイトコなんて記憶の中では赤ちゃんだから、もうひたすらウヒョーという感じでした。記憶力ということでいうと、視覚より聴覚や嗅覚の方が強いかもしれないですね。子供の頃に知っていた人の顔は忘れてもなぜか声はありありと残っていたり、泊まった家のにおいがそのまま思い出せたりして、不思議です。
- 30年前まで遊び場にしていた天神山にも行ってみました。ブランコとかヤグラみたいなのとか、朽ちかけて使えない状態だけどまだ残ってました。こういうのって、久しぶりに訪ねてみると何もかも変わってて古いものが残ってないのが当然だと思っていたので、驚きました。あの頃の記憶ってもう自分の中で現実としては存在してないので、例えば死んだおじいちゃんにばったり会ったみたいな何というか幻想的な再会でした。…でも山の裏の方がちょっと切り崩されていて、母親にきいたらなんと市長さんがお城を建てるそうでヽ(^o^;)ノよかった、その前に行っといて。お城はやめた方がいいと思うんだがな〜。
→ Index
→ Home Page