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1.魚娘の誕生

 目が醒めた瞬間、何かがおかしいと感じた。
 最初に目にはいったものは白い天井からつつつ〜と伝わり落ちてきた一本のうどん。天井の色に混ざわりあった中から、意識して選び取ったような美しい螺旋を描いて、私の桜色の唇めがけ、ゆっくり静かに無限とも思える距離を、流れるように...。
カンダタよ」
 その時に私の心の中で何か忌まわしい記憶を揺さぶる陰鬱な声がした。
「しまった」
 私は切歯扼腕して餓鬼道の地獄に堕ちた者ディルヴィシュを呼びだそうと試みた。
 解き放つ者よ、我に従え、黄昏に巣くう魔物たちよ、我が求めに答えよ。
 冥界の叫びは、指先から流れゆくうどんに刻まれ・・・
 なんということだ! いつの間にやら天井と指先を結ぶ一筋のうどん。しかし、この腰の強さはなんだ。讃岐の職人が9時から5時まで鍛えた希代の逸品か。さては魔物が遣わせしもの、一刀両断に切り捨てれば、鱗もヒレも骨肉も、何もかもが恐ろしいばかりの青さに輝く魚娘が、虫の息で床の上に横たわり、うごめく佐久鯉とともにカンダタ、と呼ぶ声に誘われてうどんに食らいつけば、欣喜雀躍する鬼どもの歓声。
「そのうどんを食うたが百年目。魚娘の呪いに大いに驚くがいい・・・」
 さても、床下から、白き煙と鎖ひきずる音とともに現れ出たるは、手に包丁や果物を持った獄卒ども。たちまち興る阿鼻叫喚はこの世の闇の左手をも呼び覚ます。
 獄卒たちはその手に握られた巨大などんぶりへと私をいざなう。絶体絶命。
 が、そのとき一瞬にして大量の削り節へと姿を変えた魚娘がヒラリとどんぶりへ舞い降りると、一面は命のダシへと変じた。
 黄金の汁の液面に浮び上がる文字は、北小路魯山人
 怪しく光る液面とは裏腹に、あたりは漆黒の闇、いやその闇の中にきらりと光るものがひとつ、水晶の涙のようだ。光はしだいに強まる。
 ややっ、その中に蠢くのは無数のちいさな蒼白い魚娘、その瞳は酢醤油に濡れて怪しく誘う。静かにその蒼い肌に降り積もっているのはおろし生姜の黄ばんだ白雪である。
「だしの私と酢醤油の私。どちらをお選びになるの?」
 と迫り寄る魚娘の貌は見る間に膨れ上がり、石井AQと見紛うばかり。こはいかなる目の迷いかとよくよく見れば紛れもなくそれは石井AQ。赤みを帯びた真珠色に輝く肌は、弱肉強食の因果を言い含められた食材か。贖罪を求めて遥かネパールのはざまの世界より内側の世界へ聖なる侵入を企てり。その琥珀の瞳には愛の渇きが満ちている。左手に握りしめられた中華包丁は白い恐怖の光を放ち、赤き血のいけにえを求めて右へ左へふらふら動く。
「赤い包丁と、白い包丁と、どっちが得かよぉく考えろ」
「だめよ石井AQ。私をカンダタから板前に変えた輪廻転生の宿業のくびきが、お前の運命をも縛りつけているのだから」
 わが手には黄金に輝く地獄の門の鍵がある。
 刹那、ふりかぶった包丁は石井AQ自らの首を打ち落とし、驚くまいかその首は闇夜の空に舞い上がる。チェシャ猫に似た笑みは膨張し、凄まじい音をあげ砕け散った。
 AQともあろう者、これしきで消えようか。やがてラマとして再生したAQが竜頭蛇尾の呪文を唱えるや、鬼どものツノがすべて消え去り、ツルンとした頭はむいたばかりの茹で玉子のよう、呆然とする瞳は胡麻の油のような涙を浮かべている。
 いまや天下太平と化した地獄。私は今こそ最終解脱へと一歩を踏み出した。

2.食通の神様の天地創造

 平和な地獄の噂を聞き付けて死ぬなら今だとばかりに押し寄せてくる美人薄命的女子中学生どもを足蹴にし、天国への階段を昇りつめた私の目に飛び込できたものは、極楽の蓮池の薄桃色の花の間から下界を見下ろし微笑んでいるらくだの兄さん。
「お前とのカンカンノウは楽しかったよ」
 と言い捨てて蓮池にアニキ飛び込む水の音。
 これはなんという換骨奪胎なのか、とあきれはてて池を覗き込んだ。その目に映ったのは天地創造のその時、うどんのダシが酢豆腐にかけられて、出来たものがちりとてちん。それを見た食通の神様は
「ンコイ マイタン」
 と叫んだ。その声は天と地の間に響きわたり、光と闇が切り結ぶあわいに虹の火花散る。
 はて、味見る前に勘定とは面妖な、と驚く者とてあるものか。
 ちりとてちんに火花が落ちれば、自己増殖してテッチリとトンチが生じぬ理があろうか。さればさらにトンチは青白く変容を遂げ、テッチリを倍せぬ勢いで玉虫色の一休さん十体を産み、玉虫色の一休さん十体は屏風の中から虎を産む。
 虎の子は取っておこうとひとやすみする間に、テッチリはモミヂオロシとヒレ酒ととろけるような白子を産んだ。やはり休まず汗水たらして働く者が最後に美味しい思いをするのだろうか。そんなことはあるまい、見捨てられた骨センベイはそう呟き、自らの骨を砕いてカルシウムを補給した。
 そのうちに虎の子はキノコとタケノコをあたりかまわず産み散らし、貧乏人の子だくさん、貧乏は死ななきゃ直らないもんね、と肯くヒレ酒と白子を見て階級闘争に目覚めたモミヂオロシ。金さえあれば千両みかんを食べながら上方見物できるものを。せめて六文銭でもなどと未練を残すは吉田拓郎。さりとて赤い風船は空の彼方へ消え去り最早夢と消えた。夢の酒でも一杯やって酔った気分になってやろう。冷やでも良いや。モミヂオロシは四畳半フォークを創造した。彼が末弟の娘を白鳥麗子と名付けた。

3.角海老の野望そして母蟹の悲劇

 白鳥麗子は片想いの相手萩原聖人と和久井映見の結婚を知って驚き、燃えるような怒りで百万人に増殖、後に服飾品を求めて西へ移動した。
 若い女は移り気なもの。キャピキャピと群れて素うどんすするその音、浪速の天に地に満ち満ちて、天高く食欲の秋。
 そこへ突然怪僧が現れて彼女等に霊の障りを説き、全財産布施を道具屋の与太郎にするように指示した。
 与太郎はその布施をもって吉原へと赴き、腰を落ち着けた先が角海老という店。うどんの具はほわぐらにきゃびあだ、と金に糸目をつけずひたすら食いまくる。食い尽くせぬわけがあろうか、とばかりの食欲に角海老主人も欲を出し、つばめのすうどんと称して素うどんにそこらの燕を載せて出すと与太郎は喜んで食った。無知ほど強いものはなし。
「燕の巣も食ったし次は何、いやいや、食いまくりの果ては黄金餅でも一つ、じゃいけねえや、物には限度がある」
 怒ったのが主人。
「せっかく客の忘れ物の皮手袋に蜂蜜を塗って熊の掌でございとやってやろうと思っていたのに。人の楽しみ邪魔する奴は、孫の代までたたってやってもいいが、相談によっては利子は負けてやろう」
 それを小耳に挟んだ魯山人。
「ふん、美食の邪魔をする輩は糞。しかし、ワシの人生も糞に似てうたがわしきは食せずの類。トゥールダルジャンの鴨にしても、皮をもらって焼いて食べると思いきや、輝く瞳の鴨可愛さに逃がしてやってその代わり、丸々太った料理人を、慣れない山葵のツーンで気絶させて美食倶楽部に連れ帰る自信もなし、じっと手を見る。それを手と呼んでよいのだろうか、瞬く間に黄金に輝く命のダシへと万物を変えるミダス王さながらの手を」
 それを聞いた角海老、ただでダシが手に入るか! いやしかし、そんなに旨くはことは運ばぬ、と思い悩むと、頭痛にセデスメルベンツ、いやメルセデスベンツ…そうだ、ベンツで買収してしまえと、上海において帯久に受けた仕打の償いをベンツの代金とするべく大岡越前の守に訴えてお白州へ。
 そこへショキショキと鋏ふりたて子蟹の群れが
「母の仇、覚悟っ」
 と乱入してきたが、極楽の事情も気になって蓮池から目を背けると、なんと子蟹どもの母親が成仏して蟹身仏となり蓮華座の上に座っている。
 人のため我が身を投げうつ蟹の偉さよ。さっそく蒸し煮して、甲羅は水とワインと調味料入れて煮て、オムライス30Kgとまぜあわせ、それを天高く放りなげる。
 尾をひく蟹のうまみ。糸ひく納豆。
 貸借対照表の線をひく番頭。
 イノセントな与太郎などが星空を見上げて、僕だっていつかはお店の主人に、な〜んていうほど自営業は甘くり太郎の屋台の親父くらいには、と志してみるが、天津コネクションには気弱な思春期のこと、うじうじと早弁当に精を出すのが関の山さとうそぶく背中の煤けた番頭さんから突然持参金付きのお嫁さんの紹介を受ける。
 これで借金帳消しだと番頭さんは言うが、与太郎に借金はないのである。
第4章へ


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