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96.12.15
- なぜか突然、三浦綾子「氷点」を読み始めた。これは止まらない。「氷点」上下巻を徹夜で読了して、今「続・氷点」の途中まで読んだところ。45年前に書かれた小説だけど、今と倫理観がずいぶん違ってタイトなことと、若い人が生真面目なことに驚く。若い人だけでなく日本全体がまだ精神的な向上心を素朴に持っていた時代だったのだ。クリスマスプレゼントのセールで聖書が山積みで売られているというシーンがあった。登場する若者たちはぜんぜん遊ばない。いや、少しは遊んでいるけどその遊びというのが、せいぜいクラシックのコンサートに行くとか読書するとか、公園の芝生にすわって語り合うとか、喫茶店でお茶を飲むくらい。あとは勉強したりアルバイトをしたり、家の手伝いをしている。そして人生について、人間関係について、あれこれ考えて思い悩む。
- それにしてもこの小説に出てくる人たちはあまりにも心の中にクチャクチャしたものをしまいこみすぎていたり、自分をやたらと責めすぎるように思えて、ちょっといやになる。当時はこういうのが普通だったんだろうか。「辰子」と「高木」以外はイヤなヤツばっかりだ、なんでこんなにイヤなヤツばかり出すんだろうと思っていたけど、よく考えるとそういう書き方をしてるからそう見えるのだ。「夏枝」なんて書きようによってはかわいい女にもなるのに、わざと冷たい書き方をしてるものだから、とんでもないイヤな女に見える。「啓造」も「村井」もネチネチした最低の男にしか見えないし、「松崎」はおしつけがましい女、「徹」は愚か者で「陽子」は傲慢で世間知らずの未熟者。これだけみんなのイヤな面を強調しといて、救いも何もなくこのまま終わるんじゃないだろうな。
- だけど昔の作家の文章力はやっぱりすごい。技巧をこらしたり書き方を考えたりしているところを全く想像させない貫禄、どっしりとした安定感がある。今の時代をおおっている「器用な感じ」「いかにも口のうまい感じ」がぜんぜんない。時代って、年表の直線の上を昔から今に向かって進んでいるんじゃなくて、リンゴみたいなものの芯から表面に向かってだんだん拡散していってるんじゃないだろうか。
96.12.16
- 間違えた。「氷点」は45年前じゃなくて30年前の作品だった。「続・氷点」がその4年半後。
- どうしてこんなに登場人物がいちいちイヤなヤツに見えるのか、わかった気がする。この小説は、視点を固定していない。その時どきの登場人物の視点で書かれていて、視点がしょっちゅう入れ代わる。未熟で悩み多い人々の、不安定な感情や考え方で他の人物たちを描写するから、読む方もそれにつきあわされてイヤな気持ちに感染するのだ。事実だけを淡々と書き並べていく小説だと、意外に人間に対する暖かみが感じられることがある。こんなふうにナマの感情を通して語られるものの方が、かえって冷酷になるというのが発見だった。
- 「氷点」は確かに迫力のある小説だと思うけど、わたしは好きじゃない。この小説に描かれている苦しみも救済も、あまりに観念的すぎる。こんなに観念にがんじがらめになっていて、愛も幸福もあったもんじゃない。「愛は意志だ」なんてわざわざ考えて相手を選ぶなんて不自然だ。人間、頭であれこれ考えるとろくなことをしない。「村井」や「夏枝」のような、考えようによってはかわいげのあるキャラクターがこんなに感じ悪く見えるのは、ひとえに「陽子」と「啓造」の精神的硬直のせいだ。「陽子」、きらいだ。ぜんぜん気があわない。結婚したら暗い家庭を作るぞ、きっと〜。
97.1.30
- 「あした来る人」……井上靖は、若い頃に「敦煌」とか「蒼き狼」みたいなのを数冊読んだだけで、こういう愛をテーマにした現代小説(と言っても昭和二十年代)は初めてだったけど、淡々としていて温かい。「視線が温かい」というのはこういう感じを言うのだろうと思った。普通の人々をこんなに魅力的に描けるというのが作家の力なんだなあと思った。信州からの帰りの、克平と杏子の関係が少しずつ恋になっていく微妙な描写が、むちゃくちゃエッチだった。手も握っていない、口に出して好きだとも言っていない、それなのに背中がゾクゾクするくらいエッチだ。やっぱり恋ってこういうものじゃなくちゃね〜。克平と八千代が心を離したりつなげたりしながら少しずつ別れていくのも、しみじみしていてよかった。おお。感想文を書いていたらまた感動がよみがえってきました。……じーん。
- 夏樹静子「蒸発」は、読み始めたらおもしろくていっきに読んでしまった。でも、読み終わってみると何か後味が薄い。どうもさっぱりしない気分だ。謎解きミステリーの傑作を読んだあとはこういう気分によくなる。小説として読もうとするとミステリーのトリックの作為が邪魔になる。ミステリーとして楽しんでいると最後に愛や生きることの悲しみを語られて混乱する。謎解きありの本格ミステリーはわりきって人形劇に徹した方が読者も楽しめるんじゃないだろうか。
そういえば「あした来る人」の中に地の文で「ぎゃふんとなった」という言葉がでてきてびっくりした。「事故」には「イカした」というのが出てきた。どっちも他がシリアスなのですごく妙な感じだった。そうそう、「蒸発」には「フランスのグループサウンズ」が出てきた。
俗語で生き残るものと死語になるものは何が違うんだろう。「カッコいい」は定着したのに「イカす」は死んだ。「アタマに来る」だって最初はきっと「ぎゃふん」みたいなものだったと思うけど、今では普通の口語だ。「アベック」は死んだけど「彼氏」「彼女」は息が長い(イントネーション変わったけど)。
わたしが十代の頃は会話の語尾に「のだ」をつけるのがはやりだった。「どこ行ってたの」「買物に行ってきたのだ」とか。「彼氏は元気?」「知らないのだ」「知らないってなんで」「フラれてしまったのだ」とかね。うわー。なつかしい。
99.2.5(金) 18:25
- 実はわたしは「ナルニア国物語」を読んだことなかったのですが、急に思い立ってなんと英語で! 読み始めました。子供向けのお話だから英語でもけっこうスラスラ読めます。読めるっていうだけじゃなくて、おもしろい! むちゃくちゃおもしろい! 時間はかかるけど、英語で読んでおもしろいっていうのは我ながら実力アップしたみたいで嬉しいです。それと、小さい頃に日本語の本を読んでいた感じをちょっと思い出しました。文字に慣れてないせいで一生懸命読むから、物語の中に入り込む度合いが深くなるみたいですね。大人になってこんな経験ができるなんて得した気分です。今は一巻目の「魔法使いの甥」の、こわい女王様が昔話を始めたところです。しかしポリーとディゴリーのレベルの低い言い争いはなんとかならんのか。かわいいけど。
99.2.28(日)
- 「ナルニア国物語」は、1巻「魔術師のおい」を読み終わって、2巻の「ライオンと魔女」(原題は「ライオンと魔女と衣裳ダンス」だ)の2/3くらいのところまで来ました。おもしろいおもしろい。やめられない。単語も、繰り返し出てくるものはいつのまにか覚えてて、辞書を引く回数もちょっと減ったみたいで嬉しいです。「魔術師のおい」は日本語版も読んでみました。ハヤカワのクリスティものなんかに比べるとずっとちゃんとした訳のように思えました。って素人の分際でえらそうに言ってますが。でも翻訳ってやっぱりもとの言葉とは違う。当たり前ですね。わたしの印象では、英語のほうがおかしみがあります。つまり笑えます。ナルニアってこんなおかしい話だったんですね。いや、もちろんシリアスな話なんだけど、魔女の描写とか、天然ボケに近い味わいがありますね。なんとかがんばって、最後まで英語で読もうと思ってます。
やっぱりいたいた、ナルニア・ファンの皆様からメールもいただきました。おがわゆかさん、佐藤陽子さん、橋本@名大さん、大賀正幸さん、菅沼保明さん他のみなさん(他、というのは「地層」用メールボックスに入れてわからなくなってしまったぶんです(^^;)ごめん)、ありがとうございました!
そうだ、「作者名や出版社名を知りたい」というご質問がありました。作者は「C・S・ルイス」という人です。日本語版は岩波少年文庫から、「ナルニア国物語」としてではなく「魔術師のおい」「ライオンと魔女」…という別々のタイトルで7巻分出てます。英語版は、わたしが読んでるのはCollinsというところから出てるものです。シリーズの原題は「The Chronicles of Narnia」。「ナルニア年代記」ですね。これ、発音は「ナルニア」なんでしょうか。ふつうに読むと「ナーニア」になりそうだけど。そういえば魔女の名前も「ジャディス」だと思ってたら、日本語版を読んだら「ジェイディス」なのでした。固有名詞は難しいですね。
各巻の順番ですが、わたしの読んでいる英語版は「魔術師のおい」から始まっています。これは、物語中の年代順だそうです。これが「suggested reading order」だと、巻末の解説に書いてあります。ただし出版された順番は「ライオンと魔女」が最初で、「魔術師のおい」はあとの方らしいです。一冊ずつが独立して完結してるとも書いてありますから、どの順で読んでもいいと思いますが、「最後のたたかい」っていうのから読むのだけはやめた方がいいでしょう、たぶん(^^;)。
そういえばこの「ナルニア」の、シリーズの最後の方で起こるあることについて、何年か前に未読のわたしにネタバラシをしてくれちゃった人がいて、その頃は別にいいやと思ってたんだけど、今になって恨んでます(^^;) 痛恨のネタバラシだな〜あれは。くそ〜。
99.3.3(水)23:18
- 「ライオンと魔女」、読み終わりました。アスランに対する子供たちの傾倒ぶりがなんだか唐突な気がして、そこだけ違和感があったのですが、後半を読んでみたら、結局アスランはキリストだったんですね。キリストが人間の罪を背負って十字架にかけられて復活するあたりのことを、そのままライオンに置き換えたストーリーだったのでした。だから子供たちも何の前触れもなくいきなりあんなに深く愛してしまったのですね。欧米の読者やキリスト教徒の人には違和感なく受け入れられるのかもしれない。わたしにはどうも「そんないきなり言われても…」という感じで、いまひとつ感情移入できなくて、ご飯に石がはいってるみたいな気分でした。「善」と「悪」がきっちり分かれていて、「悪」が徹底的に根絶やしにされてしまうところも、少なくとも日本のお話とは違うなと思います。そういえば「雪の女王」って善悪が曖昧な話ですよね。そこも気に入った理由のひとつだった。わたしが勝手にそう読んだだけなのかな(^^;)
とは言え、この読書が楽しいことに変わりはないので、ちゃんと最後まで読みます。次は3巻「馬と少年」。
99.4.12(月)
- 「ナルニア国物語」英語版読書を再開しました。3巻「馬と少年」を読み終わりました。今回のわたくしはどうも有色人種スイッチがはいってしまったようで、あまり物語を楽しむことができませんでした。だって、野蛮で陰険でずるくて残忍で、街もごちゃごちゃ汚くて臭い、という南の国はどう見ても(服装や名前や建物の描写から見ても)中東のイスラム教国がモデルになってます。それに対してナルニアなど北の国の人たちは、肌の色が白くて金髪で、美しくて(とほんとに書いてある)、やさしくて自由でフレンドリーで勇敢で、悪いところがなんにもない〜。で、著者はもちろん白人。いくらなんでも無邪気すぎるというか、白人ということに無自覚すぎるというか、いい気なもんだよなとどうしても思ってしまうのでした。とは言いながら、やっぱりおもしろいことに変わりはないので、ひきつづき読みます。4巻、読み始めました。
あ、そういえば、例によって日本語版も読んでるのですが、翻訳が間違ってるところみつけました。…日本語版で最後の方に「ティスロック王朝(たぶんカロールメンのこと)が滅びた」って書いてありますが、滅びてません。これ、けっこう重要なところだと思います。カロールメン王国が滅びたか滅びなかったかで、物語の印象がすごく変わるから。「滅びた」ってことになってたら、きっとわたしはもっとムシャクシャしてたでしょう。(^^;)
- (99.4.13 19:25)……上の問題について、ある方から「国は滅びていないが王朝は滅びたということなのではないか」というメールをいただきました。実際は、国も王朝も滅びていないと思われますのです。詳細を書きましたので、興味ある人は見てくださいね。 → カロールメン問題・詳細のページ
99.4.14(水)23:57
- 4/12に書いたナルニア国物語、カロールメン滅亡問題について村上斉さんから「それで正解です」というメールをいただきました。よかったよかった(実は不安だったのでした(^^;))。詳しくは、詳細のページをごらんください。
99.4.21(水)1:54
- 「ナルニア英語版」読書のおかげで、英語の読解力がだいぶアップしました。以前買って、数ページ読んで放り出してあった「鏡の国のアリス英語版」をパラパラと見てみたら、前はよくわからないことだらけだったのに、今はいくつか単語の意味さえ調べればスラスラ読める!ヽ(^o^)ノ なんかこう、成果が目に見える時期っていうのはワクワクするですね。知ってる単語の数もだいぶ増えた感じがする。
知ってる単語といえば、わたしの中高時代と今では、日常的に使う外来語の数がぜんぜん違うということに気づきました。だから「勉強したわけでもないのに、いつのまにか外来語として意味を覚えていた」単語がいっぱいあります。例をあげるのもばかばかしいほどいっぱいあるけど、例えばシミュレーションとか、レスポンスとか、シチュエーションとか、アニバーサリーとか、エイジングとか、ヒーリングとか、ポーションとか、アミュレットとか、ソーサラーとか、グールとかオーガとかゴブリンとかトロールとか(^^;)
99.5.12(水)2:19
- 小池真理子さんの「殺意の爪」という小説を読みました。ミステリです。小池真理子さんは初めて読んだのですが、名前や写真のイメージから漠然と予想してたのとすごく違ってて、驚きました。もっとカルくて半分アルバイトみたいな作家の人なのかと勝手に思いこんでました(むちゃくちゃ失礼ですね)。こんな有能なバリバリの玄人作家だったとは。人物描写がものすごく巧みで、登場人物のキャラクターを味わうだけでも楽しめました。特に弁護士の描き方には感心しました。すごくリアルな感じがして。さっそく他のも何冊か買ってきました。楽しみ楽しみ。
99.5.25(火)0:26
- 小池真理子さん、いっきに4冊読みました。「殺意の爪」のあと「唐沢家の四本の百合」「プワゾンの匂う女」「無伴奏」。どれもよかったけど、「無伴奏」が特におもしろかったです。1969年から70年の話で、当時の風俗とか、若い人たち(わたしもそうだったわけですが)の気質とか、会話の仕方とか、ありありと思い出しました。ほんとにいいなー、この人。オーソドックスなんだけど(サイコがかったミステリーをオーソドックスとは言わないか?)、繊細かつビビッドで、筋にひかれて読むという以前に、描写を楽しんで読める作家です。
99.5.27(木)17:15
- ひきつづき小池真理子さん。「贅肉」という短編を読んで、何かを思い出すなーと思っていたのですが、わかりました。山岸涼子さんの漫画です。姉妹ものだし、歪んだ心理ものだし、主人公の心の動きも、結末も、山岸さんととても近い感じがしました。そういえば今まで読んだ長編も…特に「唐沢家の四本の百合」と「プワゾンの匂う女」は山岸さんの絵で漫画化したらぴったりすぎて原作ものとは気づかれないかも。
99.6.3(木)20:21
- 小池真理子さん、さらに読みました。「あなたから逃れられない」(初の長編)、「恋」(直木賞をとったサスペンス)、「贅肉」(短編集)、あとタイトル忘れたけどエッセイ集も一冊読みました。たてつづけに8冊。これはもう単にファンですね、わたしは。今まで読んだ中で一番印象が深かったのは「恋」です。「無伴奏」と同じ、1969年から70年代はじめ頃の話ですが、「無伴奏」をもっと濃縮したような感じ。人間の陥る「恋」という状態について、こんなに鮮やかに説得力を持って、しっかりその内側にはいりこんで情熱的に、でも流されることなく冷静に描ききった小説を、わたしは初めて読みました。少なくともわたしにとっては、これは「恋」そのものです。
直木賞と言えば宮部みゆきさんの「理由」も読みました。最期まで飽きずにいっきに読めました。文章も構成もしっかりしていてベテラン作家の風格〜って感じでした。でもそれ以上のことは特に感じませんでした。なんでかな。宮部さんはあんまりエッチな人じゃないのかも。
99.6.13(日)7:40
- 小池真理子さんはさらに短編集を2冊(「水無月の墓」と「やさしい夜の殺意」)、それに30歳頃のエッセイ集を一冊読みました。これで11冊。われながらすごい勢い。「水無月の墓」は幻想小説集で、とっても美しいです。映像的でもあるし、不思議な動きというかリズムが感じられて、音楽のようでもあります。平易な言葉を使ってさりげなく書かれているのに深みがあって、とっても好みです。30歳頃のエッセイ集は…「恋人と逢わない夜に」だったかな? これは他と比べるとさほどおもしろいとは感じなかったのですが、前に読んだエッセイとも合わせて思ったのは、けっこうわたしと似てるところがいろいろある人だなーということ…わたしよりずっとりりしい方ですが(^^;) いつかもしチャンスがあったらお会いしてみたいなと(わたしにしては珍しく)思ったりしたのでした。月曜日からレコーディングが始まるので、しばらく長編小説は読めそうにありません。レコーディングが終わったらまた買いだめしてあるほかの長編に取りかかる…つもりなんだけど、時間がたつと別のブームに夢中になっちゃったりするからいまいち信用できないんだな〜自分が(^^;)
99.12.24(金)
- 読書三昧(なぜかほとんど内田康夫)してました。内田康夫さんって、なんか軽い2時間ドラマ的イメージ持ってたんですが、デビュー作「死者の木霊」を読んで、ものすごくよかったので初期作品を中心にいろいろ読みました。デビュー作以外だと「萩原朔太郎の亡霊」がおもしろかったなー。謎解きミステリーで人形劇じゃなくて違和感もなくて…という作品に出会ったのは連城三紀彦さんの「戻り川心中」以来かも。
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